4月14日(土) 南三陸町
--これは参加した方が東京新聞に書いてくださったものを引用をしています。
現地に入った一般の方の声、是非読んでください。--
朝、ボランティアセンターに到着。すでに北海道や長崎、浜松ナンバーの車が多数ありました。
南三陸町にはこれまで約四万人が支援活動をしています。
指示を受け、午前九時半から午後三時半の活動で、場所は仮設住宅がある木曽木地区。
農業支援を行いました。ビニールハウス内の土石拾いです。
水はけが悪く、掘り起こすと石がごろごろ出てきて瓦の残骸等がいろいろ埋まっていました。ミミズは一匹出てきただけでした。
素人の私が見ても、ここで作物を育てるには相当耕さなければ難しいと感じました。
でも、やれないことには前に進めません。
帰り道に通った南三陸町の中心部は人の気配は無く、被災した建物はそのまま。
鳥の鳴き声と潮風の匂いが印象に残りました。
打ち上げられた船、壊れた自動車は山積み。住宅も基礎しか残っておらず、木々は海水で枯れて手つかず。
瓦礫撤去はまだまだです。現地で撮ってきた写真を見て「これが現実なのか」と驚かれた方もいます。
なかなか見えてこないのが現実です。
しかし、このまま風化してしまうのがもっと怖い。
「三陸わかめをかってください」。
南三陸町の復興支援の一つです。
4月21日(土)釜石
--坂本--
この日は現地の繋がりのある方から侍にお願いしたいとご連絡頂いた方のお宅へ行ってきました。
釜石市唐丹(かまいししとおに)、この土地は周囲の家も高台以外全てが流されて、このお宅も屋根部分まで津波が被ったそうで、周辺の家は全て土台部分しか残っていませんでした。
その家主である60代の男性は、ほぼたった一人で建て直していらっしゃいました。
この日私たちはその家の修繕のお手伝い、二階部分の屋根のボード張りをさせて頂きました。
「一人でやってると張り合いが無くてね、ここまでやったけどなかなか進まないんだよね」
私はこの方の寂しげな顔が忘れられません。
「ありがとうございました! またすぐ来ますね!」
と約束し、帰ってきました。
出来る限りこちらのお宅にも伺いたいと思っています。
現地ではこういった方がまだまだ居らっしゃるのが現実、まだまだ力は必要だと
また新たな気持ちで向かいたいと思いました。